オペラ「蝶々夫人」&さっちん史
もう何年も前にさっちん史は寸断されておりますが
このたび、私の恩人 森美津子さんが広島で「蝶々夫人」を主演されるとのことで
ついつい思い出して書いてみたいと思います。
もうかれこれ15年くらい前ですが
怒涛の覚悟と、信じられないラックさで
なんとかチェコのバレエ団に合格した私。
その時の記事→こちら
初めての東欧。
社会主義が明けてまだ数年。
寂しいうらぶれた駅に降り立ったときは、涙が出そうでした。
レンガ造りの壁は崩れ落ちてて、道路もあちこち穴が空いてるし・・・
英語も誰も話せないし、バレエ団の中でも英語が話せるのは
ディレクターと数名の若いダンサーのみ。
あー、なんかいろいろ思い出してきたな。
ダンサーたちの「なんだこいつ」的な冷たい目線。
英語が話せない秘書との大変なやりとり。
とりあえず着いたものの、労働ビザの取得に半年くらいかかり
全然仕事ができなくて、暇すぎて太り出して
孤独で大変だったな。
ビザ取るのも、いちいちチェコから出てポーランドまで行って(しかも何度も)
ホームレスのようなロシア系の労働者に紛れて
またもやまったく英語の出来ない大使館の人に、覚えたてのチェコ語でなんとか説明し
しかもポーランド行の列車がまたぼろすぎて
座席が破れてて、スプリングがはみ出てたり
いろんなことにたまげる日々でした。
しかも、帰りの電車を予約取ろうにも
またもや英語が通じず、チェコ語も通じずポーランド語オンリー・・・
午後2時の電車を予約したつもりが、なんと夜中の2時・・・
そんなの予約するわけないじゃんかー
わかってくれよ!
と思ってもあとのまつり。
夜中の2時までなんとか時間をつぶし
電車には乗れたものの、なんとチェコの手前が終点という・・・!
まじか!
てことで、ポーランドとチェコの国境駅で降ろされた私・・
こないだの寒波の東北くらい雪は降り積もってるし。
マイナス15度くらいだし、雪はさらにしんしんと降り続いてるし、
なんと無人駅だし、夜中の3時だし。
どうすればよいのかわからず一人雪の中で泣きました。
ふと周りをみると、ひとのよさそうな老夫婦が一組。
神降臨!(に見えた)
もちろん言葉は通じないけど
なんとか「チェコはどこ?」と聞くと
おじいさんが、あーいってこーいってみたいな感じでとにかく歩けみたいな。
それから、よくわからず真夜中の国境をさまよい歩くこと2時間。
やっと国境の川が見えてきた。
銃を持った憲兵がいます。
ものすごく冷たいロシア的目をした憲兵さんです。
でも、かれこれ2時間歩いているから、おしっこがもれそう。
「WC プロシーム」と(トイレお願いします)言ってみたら、なんかすっごい笑われて
あそこの宿で貸してもらえ(と言ってくれたような・・)
たぶん、こんな川越の国境に来たのは日本人初めてだと思われる。
今はテレビで日本人未踏の地とかやってるけど
ほんと、よく殺されなかったな。
そして、宿兼レストランが開いてた!ので
そこでまたなんとかオストラバまで行くにはどうしたらよいか
得意の顔芸で聞く。
いや、この時はすでにチェコ国内だから自分のつたないチェコ語が通じてすごい感激したのを覚えてる。
こんな超場末のレストランできったないジジイばっか酒飲んでる
ほんと映画に出てきそうなきたないとこやったけど
帰ってこれた!という涙をまた流す。
そこのバス停に親切なお兄ちゃんがいて、ちょうど自分もオストラバまで行くから
一緒にこのバスに乗ったらいいよ。
と言われ、なんとか朝7時くらいに帰宅できたのでした。
そんなクソ大変な思いをして取った労働ビザ。
しかし、この後もほんといろんな意味で苦労の連続でした。
楽しいこともたくさんあったけど、苦い思い出もたくさんあったチェコ生活でした。
そしてそんな中、といってもそれから2~3年後のことですが
オペラ「蝶々夫人」で、オストラバの劇場に客演にこられた美津子さん。
総支配人に「日本人が主役をやるためにイタリアから来てくれたから紹介するよ」
と。
それが美津子さんとの出会いでした。
チェコのそれもプラハではなく、オストラバで日本人に会うこと自体まれなのに
しかも、広島出身!
そしてさらに驚くことに、オペラのために習っていたバレエ教室も一緒!!
こんな偶然てあるの???

ピンカートンが蝶々夫人の幻影を想って歌うシーンで、こんな感じで踊りました。
(左が私)
真ん中のお姉さん、上半身裸だった!
すごいナイスバディでしたわ。
てことで、とっても思い出深いこの蝶々夫人をまた広島で見れる。
今、私がスタジオを持てているのも美津子さんのおかげです。
顔が広い美津子さんが、当時のグリーンアリーナの館長と友達で
その時は今よりさらに、クレイジーな人だったのに採用してくれ
(面接のときにビール飲みませんか?とか言ってた私・・・。日本人は仕事中に飲まないの知らなかった)
このときに、日本人の働き方とかパソコンの超基礎を学び
ノーリスクでバレエスクールも立ち上げさせてもらい
小さいけれど発表会もやったり、大人バレエの可能性に驚き
そして、今のオーナー様であるもう一人の美津子さまに出会い、アリーナでの3年契約終了後すぐに
ラモンテができたのでした。

悠人がおなかにいるときに神戸で開かれたコンサートに行きました。
私は美津子さんに何もしてあげられてないけど
美津子さんはいつも私に優しくて、いろんな世話をしてくれて
私の人生の中でいつもキーパーソンとして登場する方です。
15年前に出会ったときの「蝶々夫人」も素晴らしかったけど
もちろん美津子さんもそれからいろんな人生を過ごしてこられたと思います。
その15年の重みをさらに加えて円熟した、素晴らしい蝶々夫人を演じられるのを見られるのは本当に奇跡。
しかも広島で!!

2018年3月10日(土) 開場16:30(3/11も別の方が主演であるようです)
アステールプラザ大ホール
一般:6500円、中高大生4,500円、小学生2,000円!!
みなさまぜひ!!
そして、話は変わりますが

第1志望の超難関校に合格した結子ちゃん!!
おめでとーー!
つい2年前に一緒に名古屋の全国コンクールで2位を掴み取って!
受験体制に入りながらも、ずっとバレエは続けたいと頑張ってくれました。
持前の賢さとこの人も多分にラックを持ち合わせてますから、これからの頑張りでどこまで行ってくれるか期待したいと思います。
ほかにも合格を教えてくれたひのちゃん。
遠い学校なので、ラモンテは卒業になります。
寂しいですが、一緒に幼少期から小学生までの一番かわいい時期を過ごせたことが嬉しいです。
なかなか中学高校時代をバレエと共にすごすのは大変なんだと思います。
それができるほんとに少数の子って、ほんとにすごいことをやれてるんだな。
と思う。
そしてそれをやらせてあげられる保護者の方。
いろんな条件が整って初めて続けられるバレエ。
感謝ですね。
子どもは今はわからないから、きっとあとでどれだけ幸運だったか
あとで感謝してくれると思うので、中学生になってもバレエを続けさせてくれている親御様
わたくしから、本当に感謝いたします。
私なんかは、今でも完全に両親に助けてもらってます。汗
両親の力なしに、今の生活が成り立たん・・・
私の育ったおうちは35年の歳月を経て
すべてがボロボロ。
感謝の気持ちを込めてリフォームのお手伝いをさせてもらおうと思ってます。
さて、いつもどおり長い文章すみません。
みなさま今日もレッスンがんばろう!!
このたび、私の恩人 森美津子さんが広島で「蝶々夫人」を主演されるとのことで
ついつい思い出して書いてみたいと思います。
もうかれこれ15年くらい前ですが
怒涛の覚悟と、信じられないラックさで
なんとかチェコのバレエ団に合格した私。
その時の記事→こちら
初めての東欧。
社会主義が明けてまだ数年。
寂しいうらぶれた駅に降り立ったときは、涙が出そうでした。
レンガ造りの壁は崩れ落ちてて、道路もあちこち穴が空いてるし・・・
英語も誰も話せないし、バレエ団の中でも英語が話せるのは
ディレクターと数名の若いダンサーのみ。
あー、なんかいろいろ思い出してきたな。
ダンサーたちの「なんだこいつ」的な冷たい目線。
英語が話せない秘書との大変なやりとり。
とりあえず着いたものの、労働ビザの取得に半年くらいかかり
全然仕事ができなくて、暇すぎて太り出して
孤独で大変だったな。
ビザ取るのも、いちいちチェコから出てポーランドまで行って(しかも何度も)
ホームレスのようなロシア系の労働者に紛れて
またもやまったく英語の出来ない大使館の人に、覚えたてのチェコ語でなんとか説明し
しかもポーランド行の列車がまたぼろすぎて
座席が破れてて、スプリングがはみ出てたり
いろんなことにたまげる日々でした。
しかも、帰りの電車を予約取ろうにも
またもや英語が通じず、チェコ語も通じずポーランド語オンリー・・・
午後2時の電車を予約したつもりが、なんと夜中の2時・・・
そんなの予約するわけないじゃんかー
わかってくれよ!
と思ってもあとのまつり。
夜中の2時までなんとか時間をつぶし
電車には乗れたものの、なんとチェコの手前が終点という・・・!
まじか!
てことで、ポーランドとチェコの国境駅で降ろされた私・・
こないだの寒波の東北くらい雪は降り積もってるし。
マイナス15度くらいだし、雪はさらにしんしんと降り続いてるし、
なんと無人駅だし、夜中の3時だし。
どうすればよいのかわからず一人雪の中で泣きました。
ふと周りをみると、ひとのよさそうな老夫婦が一組。
神降臨!(に見えた)
もちろん言葉は通じないけど
なんとか「チェコはどこ?」と聞くと
おじいさんが、あーいってこーいってみたいな感じでとにかく歩けみたいな。
それから、よくわからず真夜中の国境をさまよい歩くこと2時間。
やっと国境の川が見えてきた。
銃を持った憲兵がいます。
ものすごく冷たいロシア的目をした憲兵さんです。
でも、かれこれ2時間歩いているから、おしっこがもれそう。
「WC プロシーム」と(トイレお願いします)言ってみたら、なんかすっごい笑われて
あそこの宿で貸してもらえ(と言ってくれたような・・)
たぶん、こんな川越の国境に来たのは日本人初めてだと思われる。
今はテレビで日本人未踏の地とかやってるけど
ほんと、よく殺されなかったな。
そして、宿兼レストランが開いてた!ので
そこでまたなんとかオストラバまで行くにはどうしたらよいか
得意の顔芸で聞く。
いや、この時はすでにチェコ国内だから自分のつたないチェコ語が通じてすごい感激したのを覚えてる。
こんな超場末のレストランできったないジジイばっか酒飲んでる
ほんと映画に出てきそうなきたないとこやったけど
帰ってこれた!という涙をまた流す。
そこのバス停に親切なお兄ちゃんがいて、ちょうど自分もオストラバまで行くから
一緒にこのバスに乗ったらいいよ。
と言われ、なんとか朝7時くらいに帰宅できたのでした。
そんなクソ大変な思いをして取った労働ビザ。
しかし、この後もほんといろんな意味で苦労の連続でした。
楽しいこともたくさんあったけど、苦い思い出もたくさんあったチェコ生活でした。
そしてそんな中、といってもそれから2~3年後のことですが
オペラ「蝶々夫人」で、オストラバの劇場に客演にこられた美津子さん。
総支配人に「日本人が主役をやるためにイタリアから来てくれたから紹介するよ」
と。
それが美津子さんとの出会いでした。
チェコのそれもプラハではなく、オストラバで日本人に会うこと自体まれなのに
しかも、広島出身!
そしてさらに驚くことに、オペラのために習っていたバレエ教室も一緒!!
こんな偶然てあるの???

ピンカートンが蝶々夫人の幻影を想って歌うシーンで、こんな感じで踊りました。
(左が私)
真ん中のお姉さん、上半身裸だった!
すごいナイスバディでしたわ。
てことで、とっても思い出深いこの蝶々夫人をまた広島で見れる。
今、私がスタジオを持てているのも美津子さんのおかげです。
顔が広い美津子さんが、当時のグリーンアリーナの館長と友達で
その時は今よりさらに、クレイジーな人だったのに採用してくれ
(面接のときにビール飲みませんか?とか言ってた私・・・。日本人は仕事中に飲まないの知らなかった)
このときに、日本人の働き方とかパソコンの超基礎を学び
ノーリスクでバレエスクールも立ち上げさせてもらい
小さいけれど発表会もやったり、大人バレエの可能性に驚き
そして、今のオーナー様であるもう一人の美津子さまに出会い、アリーナでの3年契約終了後すぐに
ラモンテができたのでした。

悠人がおなかにいるときに神戸で開かれたコンサートに行きました。
私は美津子さんに何もしてあげられてないけど
美津子さんはいつも私に優しくて、いろんな世話をしてくれて
私の人生の中でいつもキーパーソンとして登場する方です。
15年前に出会ったときの「蝶々夫人」も素晴らしかったけど
もちろん美津子さんもそれからいろんな人生を過ごしてこられたと思います。
その15年の重みをさらに加えて円熟した、素晴らしい蝶々夫人を演じられるのを見られるのは本当に奇跡。
しかも広島で!!

2018年3月10日(土) 開場16:30(3/11も別の方が主演であるようです)
アステールプラザ大ホール
一般:6500円、中高大生4,500円、小学生2,000円!!
みなさまぜひ!!
そして、話は変わりますが

第1志望の超難関校に合格した結子ちゃん!!
おめでとーー!
つい2年前に一緒に名古屋の全国コンクールで2位を掴み取って!
受験体制に入りながらも、ずっとバレエは続けたいと頑張ってくれました。
持前の賢さとこの人も多分にラックを持ち合わせてますから、これからの頑張りでどこまで行ってくれるか期待したいと思います。
ほかにも合格を教えてくれたひのちゃん。
遠い学校なので、ラモンテは卒業になります。
寂しいですが、一緒に幼少期から小学生までの一番かわいい時期を過ごせたことが嬉しいです。
なかなか中学高校時代をバレエと共にすごすのは大変なんだと思います。
それができるほんとに少数の子って、ほんとにすごいことをやれてるんだな。
と思う。
そしてそれをやらせてあげられる保護者の方。
いろんな条件が整って初めて続けられるバレエ。
感謝ですね。
子どもは今はわからないから、きっとあとでどれだけ幸運だったか
あとで感謝してくれると思うので、中学生になってもバレエを続けさせてくれている親御様
わたくしから、本当に感謝いたします。
私なんかは、今でも完全に両親に助けてもらってます。汗
両親の力なしに、今の生活が成り立たん・・・
私の育ったおうちは35年の歳月を経て
すべてがボロボロ。
感謝の気持ちを込めてリフォームのお手伝いをさせてもらおうと思ってます。
さて、いつもどおり長い文章すみません。
みなさま今日もレッスンがんばろう!!
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